Ganmen の 森

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11 July 2025

東京少年少女/妖怪ウォッチ

by Ganmen1281

2024/07/14に書き残した思い出。


楽しかったあの日、返らない八歳の頃の思い出、美しいあの思い出と、今ある現実をここに記そうというだけなんだ。

2014年・東京・出会い

回想。

僕は母に連れられて、東京に一週間滞在することになった 当時八歳。 一週間泊りがけというのは経験したことが無かったから、そのワクワクは読者諸兄の想像を絶するだろう。

しかも『東京』、憧れの地である…。

というのも僕は当時世俗を『めざましテレビ』を通すことで理解していた。『めざましテレビ』が捉えた世界が僕の中での流行であり、八歳の考える『日本』の姿だったわけだ。

見るからにうまそうでオシャレなスイーツ、地上より遥かに高いビル、行き交う多くの人々。

その眩しさが僕の中での『日本』であり、平たく言えば『都会への憧れ』だった。

大してオシャレでもないあんこたっぷりの和菓子(おいしい)、地元のしょっぱい街並み、あんまり行き交わない人々。

そんなものしかない地元、姫路は当時の僕からすれば『シケた街』の証明でしかなかった。情けなかったのかもしれない。早く出ていきたいとまでは思わなかったけれど、それでも東京には全てがあると信じていた。

母と僕と弟で、東京へ向かった。

父は海外出張で日本にいなかった。品川駅で一週間滞在させてもらう母の友人に車で迎えに来てもらった。車の中には母の友人・長女・次男・末女の3人。

この東京家族は僕の思い出の象徴であり、ある種の呪縛になるのだけれど。

車の中で僕はその大きな道路とビルに痛く感動した覚えがある。 車の中から見える風景、その全てが『非日常』でビルの高さが今まで見てきたソレとは全く違った。地元では一番の高さを誇っていた建物は昭和に作られた百貨店だったし、その建物も『姫路城の高さを超えてはならない』という呪縛(法令)つきだったから東京のビル群に勝てるわけもなく敗北した。

地名を示す看板にも感動した。『めざましテレビ』でよく聞く地名、銀座・浅草・渋谷・新宿・赤坂…。

それが現実に存在すると知ったのはその時かもしれない。青看板に書かれた地名が、テレビの中にしか無かった『世界』を現実のものとして僕に教えてくれたのだった。

車の中で僕は、東京に住んでいる少年・少女がどんな環境で暮らしているのか気になった。自己紹介も兼ねて、当時僕が大好きだった『妖怪ウォッチ』の話をした。驚いたことに彼ら・彼女らはそれを知っていて、車内は異常な程の盛り上がりを見せた。

それはおかしな状況だった。地元では『ポケモンのパチモン』と冷遇を受けていて、ひっそり『コロコロコミック』で連載されているゲーム原作の漫画…少なくとも、周囲からの認識はその程度のものだった。まだ『ポケモン』の方が強い存在感を放っていたし、実際そこまでの知名度を誇っているわけでは無かったのだ。『コロコロコミック』の熱心な読者…そのうちの五人に一人くらいが知っていれば良いくらいで、『妖怪ウォッチ』の話題で盛り上がるなんて事は想像もつかなかったのだ。

なんの妖怪が一番好きかと聞いて『コマさん』と返ってきた。決して主役級ではないけれど、なかなかに魅力的なビジュアルをしていたから好きな人も居るだろうなとは思った。それでも当時、漫画版での登場回があったような記憶はない。

はて熱心な原作ゲーム好きだろうかと聞いてみても、ゲームはやったことがないという

この辺りで僕は認識のズレを感じていた。おかしいぞ、ゲームもやっていないのにこんなマイナー妖怪を知っているのはどう考えてもおかしい。その認識のズレを証明するかの如く極めつけに彼らは突然歌い出したのだ!

「ゲラゲラポー♪ゲラゲラポー♪」

知らん知らん知らん知らん!

なんだそれはと尋ねたら『アニメの主題歌』と返ってくる。

理解ができない。

「妖怪ウォッチってアニメ化してるの?」と聞くと「そうだよ〜!」と、至極当然の様な顔をして彼ら彼女らは言う。

なんてこった。東京では妖怪ウォッチが『アニメ』になっていたんだ…。

このときに受けた僕の衝撃は、未だ忘れられず、強く心中に刻まれた

当時はSNSなんて僕の周りには無い。入手できる情報なんて(小学生の身分では)かなり限られているし、地元ではマイナーで 若干の冷遇を受けていたあの妖怪ウォッチが既に東京では大流行していた(これは地元で『テレビ東京』が映らなかったところが大きいのだけれど)…。

聞くにアニメのミニコーナーで『コマさん』が主役を張って活躍しているとか。

いやそんなの知らんやん。

僕はそこで鮮烈なる『東京少年少女達』と出会った。

家に通してもらった。マンションの一室。特に何の変哲もない家で、僕は部屋にはあまり興味を示さなかった。

けれども直ぐに次男くんがリモコンを持ってTVを点ける

『ゲラゲラポー ゲラゲラポー ゲラゲラポッポ ゲラゲラポー』と奇っ怪に踊りだすウィスパーとそれを見て踊る長女と次男。僕はテレビの画面に釘付けだった。

目が離せない。なんてこった…マジにアニメ化してやがったよ!

そんな感動で初日は、ただひたすらに『東京』に打ちのめされたんだ。

2023年・東京・緊張

回想。

就活が始まった。といっても僕は今となっちゃあ十九歳で、モラトリアムも終わりかけ。

それでもまだまだ子供でいたい、誰か守ってほしいなあとか、そういう奇妙な歳になっていた。

同世代の周りは皆、顔に化粧をして。

あるいは洒落た服を着て。

あるいは安い酒を飲んで。

あるいは就職に悩んだりして。

僕より千倍大人に見えた。

今こんな事を書いていてもそう思う。小学生の頃にされていたAくんの噂話を、懐かしさを感じつつも友人に伝えれば、そんな記憶は誰にもなくって、みなインターンに悩み、みな自己推薦文に悩んでいた

それが正しいし、僕が孤独感を感じる謂れもないからこそ、嫌な気分になった。

人生の転機は突然コロッと現れて、また去っていく。

突如テレビに現れて全国区に認知されて、もてはやされた僕という人間は、少しだけ自身の肯定感を高めつつもやはり落ちていく未来を悲観するしか無かった。

僕という人間が、いかにクズで、いかに頭の悪い人間なのか、誰も知らなかった…。

ふらりと僕は東京に旅に出た。理由は特にない。

夏だった。ただひとりで繰り出した。

たった一人の東京に、些かの不安を抱いていた中で、晩御飯を食べにおいでと十年前に世話になった母さんの友人は声をかけてくれた。

僕はどんな顔をしてお邪魔すれば良いのかよくわからなかった。

東京少年少女達だって

十年時を経てるんだぜ。

2014年・東京・ローソン

回想。

妖怪ウォッチがマジでドン引きするほど面白かった僕はそのまま半狂乱でテレビに向かっていた。朝っぱらから。

そしたら今度は皆が起きてきて、朝の報道番組にチャンネルを変えた。

『ZIP』は関西だと何故か前半別番組で後半からしか観ることができないのだけれど、東京ではすべての尺で観ることができた。

データ放送の謎のあみだくじを凄く必死に遊んでいた。

色んなところに連れて行ってもらえた。藤子・F・不二雄ミュージアムは後にまた訪れる事になったのだけれども、この十年前の一度得た衝撃が忘れられず二度目の感動は薄かった。

東京スカイツリーは、なぜかエレベーターのボタンを連打して、こちらを見てニヤリと笑ったイタズラ好きのおじさんが忘れられない。

けれどもどんなランドマークより、僕の心に残ったモノ。

お泊り先の最寄り駅から帰り道。

普段ならもう眠っている時間、夜の八時を超えていたのに、母さんが『今日だけ』と言って近くのローソンで買ってくれたアイスクリームを片手に

東京少年少女達と、ゲラゲラポーを踊りながら帰った

あの、坂道。

2023年・東京・再会

その日は田園調布の駅で待ち合わせをした。やけにソワソワしていたのは、十年経った『思い出』の変化に直面しているからかもしれなかった。

車が現れて、僕の記憶とあまり変化のなかった母さんの友人が顔を出した。僕は会釈をして会話をしたあと、後部座席に乗せてもらった。

そこには確かにあの時、十年前に笑いながら、あの奇妙な踊りを踊っていた少女が

ただ凛と座っていた。

僕は時の流れを感じた。

「久しぶりとは言っても、そもそも僕の記憶はありますか?」僕が聞いた。少し照れたように。

「いや、それがあんまり無いんです…」なんて長女は言った。

そりゃ、そうだ。

そんな会話を繰り返して、彼女が高校生になっていたことに、僕はやはり緊張していた。

僕よりも、よっぽど大人になっていた。

2014年・東京・別れ

回想。

姫路に帰る日。僕はそういう切ないシーンをなんとかクールにやり過ごそうとするタイプで、ワーッと見切れるまでずっと手を振り続けるタイプじゃなかったから、東京少年少女達を前に極めて普通に去ろうとした。

でも結局、忘れられない一言を次男が残していった。

「今度来るまで!

妖怪ウォッチは

全部録画しておくからね!」

2023年・東京・別れ

再会した次男に開口一番、

「録っててくれた?妖怪ウォッチ」と尋ねたら

「いやー、全然覚えて無かったッス」

一同笑い。

僕も声を出して笑った。本当にキリっとした男前になっていて、やはり彼女もいるようだ。

良いニイチャンになっていた。

言葉遣いの節々にあらゆる知性を感じるし、おもしろい人になっている。

十年前まで赤ん坊で、人語を話すこともままならなかった末の子は、あまりに丁寧な言葉遣いで僕に敬語を使っていた。

「最近観てるアニメとかあるの?」と聞いて

「推しの子です」と返ってきたから

「推しの子かー。僕はかぐや様ってアニメが好きなんだよねー」と返すと

「かぐや様!原作者が同じ!」そう言って口調が崩れた。

嬉しかった。

みんな大人になっていた。

その十年の差を感じながら、また自分がなんだかずっと子供であることに少し不安感を持ちながら。それでも本当に楽しく囲んだ食卓を、たぶん忘れたりできないだろう。

別れの時間か迫る。

食卓の片付けが終わり、僕を送り出そうとしてくれる雰囲気の中、僕は作ってもらった大量の刺し身を余すこと無く平らげる事で時間を稼ごうとした。

このオヤツを食べきったら帰ろうかという話の中、僕は物凄くゆっくりとそのオヤツを食べていた。

外の天気は雨だったけれど、もっと豪雨になって、いっそ帰れないくらいまで降ってくれないかと切に願った。

迷惑はかけたくなかったけれど、そういう気遣いなしに、十年前みたあの世界を

もっと、

もっと…

そう思った。

最後に車で送ってもらう事になった。

車の中でポツリと呟く。

「いや、本当に涙出そうですよ。キモいかもしれないけど、キモいけど、僕が過ごしたあの時間は人生でもピカイチなんですよ」

嘘偽り無く事実だった。

高校生になった彼女は言う。

「私はあんまり覚えてないけど、でもそんなにあの頃を大事にしてくれてるなんて、なんか凄い嬉しいんですよ」

僕は車の窓から外を眺めて泣いていた。

できればバレないようにと思って、頑張って長女から目線を逸らしながら、本当に小さく泣いていた。

2014年・姫路・あの頃

回想。

妖怪ウォッチのアニメが流行り始めたのは、姫路に帰ってから二週間弱のことだった。

youtubeで投稿された『ようかい体操第一』は恐ろしいブームを作り、学校中で取り憑かれたように皆踊りだした。僕がそれを何処か斜に構えていたのは『ゲラゲラポー』を先に知っていて、アニメも一通り先に見ていた事から来る優越感だったのかもしれない。

2024年・姫路・それから

今日は7月の15日、特に何もなかった。

なにも行動を起こさない僕に、何かが起きるはずもなく、ただ日々を消化するように生きる。

屍だった。

本当にこの記憶が十年前のモノになるのが嫌だった。

あの頃は輝いていたとか、今は薄汚いとか、そんな話をするつもりも無く。

ただ、十年経ったぞ。東京少年少女に、伝えたい。

僕はまた行くんだろう。輝きを求めて、存在しない美しさを心の拠り所にして生き続けるんだろう。

一週間の小さな旅行は、

僅か8歳の頃の僕には、少なくとも美しく、

そして輝いた思い出だったと、

記憶している。


あれから1年が経っても、結局僕は動き出せずに、何者にもなれないちっぽけな自分のままだ。もう一度、彼ら彼女らに会いに行く度胸もない。それは何故かって、大人になったあの子達に、なんとなく合わせる顔がないような気がしてしまうからだ。連絡だって、事細かにとる事をやめてしまった。意気地がないからだ。そういう自分に、やるせなさを覚える。

結局、東京も、少年少女も、好きになってしまったのだろう。だから、どうというわけでもない…。

そういう風に、ごまかしている。

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